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屋島合戦(やしまかっせん)
    
紙芝居(かみしばい)

KAMI SHIBAI

一、逆櫓

 〜戦いはひたすら攻めるもの〜 三、桜間城

 〜戦の門出〜

二、勝浦(かつうら) 〜(ふね)から(うま)()()とし〜

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義経(よしつね)(ふね)は、(つよ)(かぜ)にのって、ふつうよりも(はや)四国(しこく)勝浦(かつうら)()きました。海岸(かいがん)には、平氏(へいし)(へい)がいましたが、すぐにやっつけました。近藤六親家(ろくちかいえ)という(おとこ)道案内(みちあんない)屋島(やしま)目指(めざ)すことになりました。
一、逆櫓

 〜戦いはひたすら攻めるもの〜 目次 三、桜間城

 〜戦の門出〜

詳細

二月十七日丑の刻(うしのこく)(注釈1:午前二時頃)、一同が止めるのも聞かず、義経さまは嵐の中へ船を出しました。二百(そう)もある源氏軍の中から、たった五艘の船出でした。折からの強風にあおられて、四国への到着は思いがけず早く、翌日の卯の時(うのとき)(注釈2:午前六時頃)には、阿波勝浦(注釈3:現在の徳島県小松島市)にたどり着きます。海になれない私にとっては、生きた心地のしない一夜でしたが、うっすらと明けはじめた渚には、さらに身の引き締まる光景がありました。

平家の赤旗が、夜明けの風にはためいていたのです。このまま船を海岸に横着けしたのでは、敵の格好の的になってしまいます。いかにして四国に上陸するのかと、思案をしておりますと、義経さまからのご命令で、渚に着かぬ前に馬を追い落とすことになりました。たづなを持って馬を泳がせながら渚に近づき、馬の足が立つようになるやいなや、次々とまたがって渚に駆け上がります。すると、浜にいた百()ばかりの兵は、しばらくの間も防ぎきれず、あっという間に逃げ出したのです。

四国は平家の本拠地、わが軍の何十倍の軍勢がいようとも、このような弱腰の兵ばかりなら何のことはない。そのような思いがわれわれの胸にわき上がりました。道案内を買って出ました近藤六親家(ろくちかいえ)という者に、船が着いた場所を聞いたところ、「勝浦(かつうら)」と答えたので、ますますわが軍の士気は上がり、「戦に向かうのに『かつうら』に着くとはめでたいことよ」と義経さまは、子どものように喜ばれたのです。

注釈1丑の刻(うしのこく):午前二時頃
注釈2卯の時(うのとき):午前六時頃
注釈3阿波勝浦:現在の徳島県小松島市

屋島合戦の謎 その2

大坂の港から阿波勝浦まで6時間?
平家物語では、2月16日午前2時ころに摂津国渡辺を出発し、三時(みとき)、今の時間にすると6時間くらいで移動したことになっています。しかし、わが国最初の武家記録と言われる「吾妻鏡」によると、出発が17日の午前2時ころ、到着したのは18日の午前6時ころとなっています。つまり、1日と4時間から6時間、30時間弱で到着したのではと考えられています。それでも、通常は3日かかったのなら、非常に早く着いたことになります。
(時計がなかった当時の時刻は、2時間くらいの幅があったようです。)