コンテンツエリアへ メニューへ

屋島合戦(やしまかっせん)
    
紙芝居(かみしばい)

KAMI SHIBAI

二、勝浦

 〜船から馬を追い落とし〜 四、大坂峠

 〜女官の手紙には・・・〜

三、桜間城(さくらばじょう) 〜(いくさ)門出(かどで)

前へ 次へ
義経(よしつね)は、桜間城(さくらばじょう)という(てき)(しろ)をせめ()として屋島(やしま)()かいました。(てき)(へい)は、四国(しこく)のあちこちに()かけていたので、これはチャンスだと(よろこ)んで、(よる)()ないで大坂峠(おおさかとうげ)()えることにしました。
二、勝浦

 〜船から馬を追い落とし〜 目次 四、大坂峠

 〜女官の手紙には・・・〜

詳細

案内役となった近藤六親家に、このあたりに平家の一味はいないのかとたずねると、「阿波民部重能(あわみんぶしげよし)の弟、桜間(さくらば)介能遠(すけよしとお)という者がおります」とのこと。義経さまは、「では、け散らしてまいろう」とおおせになり、近藤六親家の兵、百騎ばかりのなかから、三十騎ばかり選び出し、わが軍に加えられました。

能遠の城に押し寄せてみれば、三方は沼、一方は堀。堀から押し寄せると、城の中から次々と矢を放ってきます。兵はものともせずに、うつむきかげんに顔を守り、声を上げて攻め込みました。桜間の介は、かなわないと思ったのか、家来たちに矢を射させて、自分はやっとのことで逃げ出したのです。義経さまは、矢を放った二十人あまりの兵の首を切り戦の神に供え勝どきを上げ、「良い戦の門出になった」とおおせになりました。

再び、近藤六親家を呼び出し、「屋島に平氏の軍はどれくらいいるのか」とたずねられました。「千騎は越えております」と答えると、「意外と少ない」とおおせになられます。「このように、四国の港や島々に、五十騎、百騎と置いているのです。その上、阿波民部重能の息子である田内左衛門教能(でんないざえもんのりよし)は、河野四郎(かわのしろう)が呼び出しても出てこないので、これを攻めるために、三千余騎で伊予(注釈1:現在の愛媛県)に行っております」とのことでした。「それは、良い機会だ。これより、屋島へはいかほどの道のりか」とたずねられます。「二日ほどの道のりです」との返事に、「敵が気づかぬ間に攻め入ろう」とおおせになり、夜を徹して大坂峠(おおさかとうげ)を越えることにしたのです。

注釈1伊予:現在の愛媛県