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屋島合戦(やしまかっせん)
    
紙芝居(かみしばい)

KAMI SHIBAI

四、大坂峠

 〜女官の手紙には・・・〜 六、古高松

 〜平氏はあわてふためいて〜

五、馬宿(うまやど) 〜夜明(よあ)けの海蔵院(かいぞういん)で〜

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(やま)()りると、(よる)()けました。(うみ)(ちか)くの(てら)作戦(さくせん)()て、海岸(かいがん)(みち)(やま)(みち)(ふた)つに()かれて()くことにしました。そして、(すこ)しだけ(やす)んで屋島(やしま)をめざしました。
四、大坂峠

 〜女官の手紙には・・・〜 目次 六、古高松

 〜平氏はあわてふためいて〜

詳細

山を降りると、十九日の寅の刻(とらのこく)(注釈1:午前四時頃)の頃となっていました。まもなく夜も明けましょう。暗い山道から抜け出したわれわれにとって、夜明けを待つ波の音には、うれしい安堵感がありました。

義経さまも、ほっと一息つかれ、「馬宿」という昔からの馬の宿場で、人馬を休めることにしました。海蔵院(かいぞういん)という寺に司令部を置き、戦略を練って、この先の分かれ道で二手に分け、一つは海岸を通り、もう一つは山中を越えて、屋島へと向かうことにしたのです。われわれは、大軍ではありませんが、それがかえって幸いしたように思えます。義経さまの指揮のもと、進むも止まるも、心は一つにまとまり、何の疑いもありませんでした。特に、弁慶どのをはじめ義経さまのそば近くにおられる方々は、兄弟以上に義経さまを信頼し、その力が義経さまの戦略の巧みさをいっそう冴えたものにしておりました。境内の松の木に(くら)(注釈2:人や荷物を乗せるために馬などの背中に置く道具)をかけ、その方々と談笑なさる義経さまのお姿は、やがて登る朝の光のなかで凛々(りり)しく浮び上がっておりました。

大坂峠を駆け下りてくれた馬たちを池で洗い、われわれはわずかの休息で出発することにしました。案内の者の話では、白鳥(しろとり)(注釈3:現在の東かがわ市白鳥町)丹生屋(にゅうのや)(注釈4:現在の東かがわ市大内町)を通れば、後わずかで、目指す屋島は姿を見せることでしょう。

注釈1寅の刻:午前四時頃
注釈2(くら):人や荷物を乗せるために馬などの背中に置く道具
注釈3白鳥:現在の東かがわ市白鳥(しろとり)
注釈4丹生屋:現在の東かがわ市大内(おおち)

屋島合戦の謎 その3

屋島合戦の日にちは?
平家物語では、引田に到着したのが18日の夜明けで、ここから4時間ほどで屋島に着くことになります。しかし、文献によってはこの日にちが違うのです。「吾妻鏡」では19日、「源平盛衰記」では20日、「長門本平家物語」では21日になっています。「吾妻鏡」は、いわば公式記録集のようなものなので、一番史実に近いと推測されます。