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屋島合戦(やしまかっせん)
    
紙芝居(かみしばい)

KAMI SHIBAI

五、馬宿

 〜夜明けの海蔵院で〜 七、内裏

 〜燃え落ちる宮〜

六、古高松(ふるたかまつ) 〜平氏(へいし)はあわてふためいて〜

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水主神社(みずしじんじゃ)で、(うま)のくらを神様(かみさま)にお(そな)えして、(たたか)いに()つように(いの)り、「()とう、()とう」と声を上げながら(すす)みました。屋島(やしま)(ちか)くに()いて、たくさんの(へい)がいると()せるために、あちこちに()をつけました。平氏(へいし)は、大軍(たいぐん)がおしよせてきたと(おも)い、(ふね)にのってにげだしました。そこで、義経(よしつね)は、あっという()に、平氏(へいし)(まも)っていた「総門(そうもん)」を自分(じぶん)たちの場所(ばしょ)にしました。
五、馬宿

 〜夜明けの海蔵院で〜 目次 七、内裏

 〜燃え落ちる宮〜

詳細

われわれは、那智山(なちさん)のふもとにある水主神社に立ち寄りました。ここのところの熊野信仰の人気は大変なもので、那智山という山の名も熊野そのもの、戦勝祈願にはうってつけの場所でした。土地の案内の者から「この神社は、讃岐の国でも一二を争う格式のある神社」との話があり、義経さまはご自身の(くら)奉納(ほうのう)し、ひたすら勝利を祈りました。その後、われわれは田面(たづら)峠に向かいました。平氏に比べ小隊であるわが軍は、さらに山側海側と二手に分かれ、内心は心細いものもありました。そこで、「勝とう!勝とう!」と士気を高めながら、石田(注釈1:現在のさぬき市寒川町石田)から長尾(注釈2:現在のさぬき市長尾)へと軍を進めたのでした。

白山(しらやま)の東を通り、いよいよ屋島は目前。義経さまは、屋島を間近に見る海岸近くの松に鞍を置き、近藤六親家を召し出して「屋島とはどのようなところか」とたずねられました。六親家の言うことには「潮が引いたときには、陸と島との間は、馬の腹もつかぬほど浅い海になります」とのこと。それを聞いた義経さまは、さっそくにも馬にて屋島を攻めることにしましたが、相手の平氏は何千もの軍、わが軍は百五十騎ほど。そこで、義経さまは、わが軍を大軍と見せかけるため、あちこちの民家に火を放ちました。

後で聞いた話によると、その頃、屋島のふもとに陣取る平氏軍では、反旗をひるがえしたという河野四郎の一家郎党百五十六人の首実験を行っていました。その最中に、「高松のかたに火出てきたり」という知らせが入り、さぞや大軍で押し寄せたのだろうとあわてふためき、急いで船に乗り込んだのだそうです。

義経さまは、さらに軍を二手に分け、一つは平家の海の守り門である総門へ向かわせ、一つは屋島にある内裏へと馬を進めます。また、五、六騎、七、八騎、十騎とばらばらと海に駆け込ませ、その波しぶきでなおも大軍に見えるようにしたので、平氏はいよいよ沖へと逃げ出しました。
そこで、あっという間に総門(注釈3:外構えの大門のことで、ここでは平氏軍の守りの最前線。)をわが軍の手中におさめたのでした。

注釈1石田:現在のさぬき市寒川(さんがわ)町石田
注釈2長尾:現在のさぬき市長尾
注釈3総門:外構えの大門のことで、ここでは平氏軍の守りの最前線。