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屋島合戦(やしまかっせん)
    
紙芝居(かみしばい)

KAMI SHIBAI

九、菊王丸

 〜十八歳の若武者が〜 十一、沖の船

 〜美しい女官の手招き〜

十、継信(つぎのぶ)最後(さいご) 〜名誉(めいよ)(おも)冥土(めいど)()かう〜

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佐藤継信(さとうつぎのぶ)は、義経(よしつね)身代(みが)わりになれたのはうれしいことと()って、()くなってしまいます。義経(よしつね)は、えらいお(ぼう)さんをさがして、大切(たいせつ)(うま)をおくって、継信(つぎのぶ)をていねいにとむらってくれるようにたのみます。それを()家来(けらい)たちは、義経(よしつね)さまのためなら(なん)でもしようと(おも)うのです。
九、菊王丸

 〜十八歳の若武者が〜 目次 十一、沖の船

 〜美しい女官の手招き〜

詳細

能登守(のとのかみ)に射抜かれた佐藤三郎兵衛継信(さとうさぶろべいつぎのぶ)さまは、陣の後方へと運びこまれました。そこに義経さまが駆けつけ、馬から下りて手を取り、「三郎兵衛、いかがか」とおっしゃいました。すると、継信さまは、かすかな息の下から「今はもう、最後のときと存じます」。義経さまが「思い残すことはないか」とおたずねになると、「何を思い残すことがあるでしょうか。あなた様がご出世なさるのを拝見しないまま死にますのが残念ですが、弓矢を取るものが敵の矢にあたって死ぬことは覚悟していました。とりわけ『源平合戦で、奥州の佐藤三郎兵衛継信という者が、屋島の磯にて、主君のお命にお代わり申し上げ討たれた』と末代まで語り継がれるならば、現世での名誉、冥土(めいど)に旅発つ思い出でございます」と申されて、見る見るうちに弱っていかれました。

義経さまは、はらはらと涙を流されて、「この近くに、尊い僧侶はおらぬか」と申されました。そして、近くの志度寺から僧侶を探し出し、継信さまをていねいに(とむら)ってほしいと、黒く立派な馬に縁を金でおおった(くら)を置いて、僧に下されたのでした。この馬は、義経さまが五位尉(ごいのじょう)の位をたまわったときに、同じように五位を与えて太夫黒(たゆうぐろ)と名づけた特別な馬で、あの一の谷の戦いで断崖をともに駆け下りた馬でした。

これには、継信さまの弟の四郎兵衛忠信さまをはじめ、みなさまが涙を流し、「このように家来を思ってくださる義経さまのために命を捨てることは、露ほども惜しくない」と申されたのでした。

それは、私、与一も同じことで、義経さまのために命をかけて戦おうと、なお心に誓っておりました。しかし、この後で、義経さまのために、私ごときが大変な役目を担おうとは、まだ夢にも思っていなかったのです。

屋島合戦の謎 その6

義経はなぜ精鋭部隊をつくることができたのか?
義経に、弁慶などの四天王をはじめ優秀な家来がいて、継信のように、その一人一人が義経のために命をかけて、それぞれに才能を発揮します。まさに少数精鋭のコマンド部隊なのです。これらの仲間を集めることができたのは、不遇な放浪時代があったからこそです。その時代に、山伏や猟師、山賊、船乗りなど、幅広い分野で人材に恵まれたものと思われます。しかし、その人々をひきつけ束ね意のままに働かすことができたのは、やはり、義経にすぐれた才能と魅力があったからでしょう。男女を問わず慕われた義経。いつまでも愛される日本史上、まれに見るアイドルが義経さまです。