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屋島合戦(やしまかっせん)
    
紙芝居(かみしばい)

KAMI SHIBAI

十四、しころびき

 〜悪七兵衛景清と十郎どの〜 十六、瓜生が丘

 〜弁慶がつくる汁〜

十五、弓流(ゆみなが)し 〜(いのち)がけで(ひろ)ったもの〜

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平氏(へいし)(はま)につぎつぎと上がってこようとするので、義経(よしつね)(うみ)(はい)って(たたか)っているうちに、(ゆみ)()としてしまいます。その(ゆみ)(いのち)がけでひろい(かえ)ってきたので、どうしてそのような(あぶ)ないことをするのかとたずねると、義経(よしつね)は「わたしは(からだ)(ちい)さくて(ゆみ)(よわ)いので、そのことが(てき)()られて、わが(ぐん)がばかにされたら(こま)る」と()ったので、そこまで(かんが)えておられるのかと、みんなは感心(かんしん)しました。
十四、しころびき

 〜悪七兵衛景清と十郎どの〜 目次 十六、瓜生が丘

 〜弁慶がつくる汁〜

詳細

悪七兵衛景清の声に持ち直した平氏は、「悪七兵衛を討たすではない。ものども続け」とばかりに、二百余人が渚に上がり、盾をぎっしりと並べて、「かかって来い」とおびき寄せるのでした。

義経さまはこれを見て、「こしゃくなことよ」とおっしゃり、後藤兵衛父子どの、金子兄弟どのを先に立てて、奥州の佐藤四郎兵衛どの、伊勢三郎どのを弓手、馬手に見立て、田代の冠者どのを後ろに立て、八十余騎で駆け出せば、平氏の兵は馬には乗らず、みなさっさと船に乗り込んだのでした。そこで、並べてあった盾は、ばらばらに蹴散らしました。わが軍は、勝ちに乗じて、馬の腹まで海に入れて攻め戦いました。

義経さまも海に入り戦っていううちに、船のうちから熊手を持って義経さまの甲のしころに、二度三度、ひっかけようとするものがおります。見方の兵が太刀や長刀で振り払おうとしましたが、義経さまの弓がひっかかり落とされてしまいました。

義経さまがかがみこんで取ろうしますので、見方から「うち捨ててください」との声がありましたが、義経さまはその声は聞かず、危ない思いをしてとうとう弓を拾って帰って来られました。

「たとえどんなに高価な武具であろうとも、義経さまのお命をかけてはなりません」と申し上げる方がいらっしゃいましたが、義経さまは「弓が惜しくて拾ったのではない。二人がかりで張ったり、三人がかりで張ったりする叔父の為朝(ためとも)どのの弓のようであれば、捨てたままにしておくが、私のものは弱い弓である。敵に拾われて、『これが源氏の大将、九郎義経の弓よ』とあざ笑われるのが口惜しく、命にかえても取りに行ったのだ」と答えられたのです。これを聞いて、見方の方々は感心しきりでありました。

屋島合戦の謎 その10

義経は、ほんとうに小男であったのか?
自分が小さくて弱いことを隠すために、命がけで弓を拾ったという義経ですが、ほんとうに小さかったのでしょうか?弁慶と出会った五条の橋の上でも、軽々と飛び跳ねる義経。壇ノ浦では八艘飛びというほど、船を軽々と渡って見せた義経。そんな伝説が伝わるほど、身軽で大男でなかったことは事実でしょう。鞍馬寺には、義経の背比べ石があって、16歳のときの義経の身長がわかるそうですが、120〜130センチほどだそうです。すらりとした絶世の美男子というよりは、母性本能をくすぐるタイプの色男だったのかも?