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気が付けば、日はとっぷりと暮れております。この日は、引き退いて、牟礼の野山に陣を張りました。瓜生が丘と呼ばれるあたりでございます。
わが軍は、飲まず食わずで戦っておりました。そこで、弁慶さまが食事の仕度を始めました。豪快な弁慶さまのこと、そのやり方も大胆なもので、まず、弁慶さま自慢の長刀でとんとんと地面をたたいて、井戸を掘り出したのです。しばらくすると、清水がこんこんと湧き出てきました。これを「長刀泉」と呼びます。続いては、なんと石のお地蔵様をうつぶせに倒し、その背中で菜っ葉を切り、武者汁を作ったのです。これを、義経さまにおすすめすると、「弁慶がこしらえし菜は武蔵坊」と詠まれたと言います。すると、弁慶どのもすぐに、「それを知りながら九郎判官」と返しました。このお地蔵様は、後に「菜切地蔵」と呼ばれるようになったと伝え聞いております。
わが軍は、この三日間の間は一睡もしておりませんでした。腹ごしらえがすむと、みな眠気におそわれます。ある者は、甲をまくらにし、鎧の袖やえびら
などを枕にして、夢も見ないほどぐっすりと眠りこけました。私も、頭はまだ興奮の中にいるようでしたが、身体はすっかりと疲れきっていて、いつのまにか深い眠りに引き込まれていました。しかし、そのなかで、義経さまと伊勢三郎どのは眠らずにいらっしゃったのです。義経さまは高きところに上がって、敵を見張っておりました。この山上は、後に「源氏が峰」と呼ばれるようになったとのこと。また、伊勢三郎どのは、くぼ地に隠れて、もし敵が攻め寄ってきたならば、馬の腹を射抜こうと待ちかまえていたのでした。
一方、平家の方では、能登守を大将にして、その軍五百騎が、夜討ちをしようと仕度を整えておりました。ところが、越中次郎兵衛盛次と海老次郎守方とが先陣を争っているうちに、夜が明けてしまったとのことなのです。もし、この時に平氏が夜討ちを行っていたとしたら、われわれ源氏軍は無事ではすまなかったことでしょう。義経さまには、戦の神が味方をしていたのです。
えびら:矢を入れて携帯する入れ物
屋島合戦の謎 その11
なぜ平氏は、その夜に源氏を攻撃しなかったのか?
源氏が、さほど大軍ではないことが分かり、かなりの無理をして屋島まで来たことも推測できます。誰が考えても、その夜に平氏が源氏を夜襲すれば、源氏は壊滅状態になったはず。なのに、そうはしなかった平氏。能登守は、さぞや歯がゆい思いをしたことでしょう。これは、平氏の総大将である平宗盛は、父平清盛とちがって弱腰で決断力がなかったのが原因と言われています。壇ノ浦でも、裏切ることが予想された
阿波民部重能を斬ることができず、それが平氏を滅亡に導き、海に飛び込むときもためらい、飛び込んでも沈むことができず源氏にとらえられてしまいます。最後まで息子の身を案じたという宗盛は、現在ならばよきマイホームパパになったのかもしれません。この宗盛が総大将の器でなかったことも、平氏の敗因。上司には恵まれたいものです。
※この物語では、屋島での戦いを一日の中で描いていますが、実際には2日に渡って戦ったようです。