十七、志度合戦 〜わずか八十余騎 で〜

詳細明けて、平氏は船に乗り込み、志度の浦へと参ります。義経さまは、三百余騎のなかから、馬や人を選りすぐった八十余騎で、追いかけました。平家は、「敵は少数である。囲い込んで討ち取れ」とばかり、千余人が渚に上がり、わめき叫んでかかってきました。そこで、屋島に残りとどまっていた二百余騎の兵が、おくればせながらはせ参じます。これを見た平家は、「源氏の軍が大勢続いてやってくる。何十万騎あるかわからぬ。囲まれては、勝ち目は無い」と言って、また船に乗り移り、潮にひかれ風に従って、どこを目指すでもなく、落ち延びて行ったのです。四国はすべて義経さまに従い、九州には範頼どのの軍勢がおりますので、もう平氏の行くところはどこにもありませんでした。
義経さまは、志度の浦に降り立って、討ち取った首を確かめておられました。そして、伊勢三郎義盛どのを召して、「
伊勢三郎義盛殿が使者を立てて申すには、「源氏の大将軍、九郎判官どのの家臣で伊勢三郎義盛と申す者であるが、大将に申すべきことがあってまいりました。戦をするためではないので、弓矢も持っておりません。どうかなかに入れてください」と、すると、田内左衛門教能の三千騎の兵はなかほどをあけて通してくれたのでした。義盛どのは、田内教能と馬を並べて、「すでにお聞きかもしれませんが、鎌倉殿の弟である九郎判官どのが、後白河法皇のご命令で西に向かったのですが、おととい阿波国勝浦にて、あなたの叔父である