屋島合戦まで
一の谷の合戦で、
鵯越の
断崖を馬でかけおりた義経軍は勝利をおさめます。しかし、その後の平家
追悼は、
源範頼の役目となり、義経は戦いに行く日を待ちわびていました。そして、やっと頼朝からの命令があって、義経は屋島に向かうことになったのです。
1180年、各地で源氏が挙兵するなか、伊豆で源頼朝が、信濃で木曾義仲が兵をあげます。最初に都に上ったのは木曾義仲。しかし、義仲が力を持つことに恐れを抱いた後白河法皇は、源頼朝の命令で都に上がった源範頼と源義経に義仲を討たせます。源氏の内紛がおこる間に平氏が巻き返しを図り、1184年、一の谷の合戦が起こります。この戦いで義経軍は、鵯越の断崖を馬で駆け下り、平家をけ散らして勝利をおさめたのでした。しかし、その後、平家追悼の役目は与えられず、つらい毎日を送ります。それは、頼朝の許しを得ず、後白河法皇から「左衛門少尉」という位を授かったのが原因でした。平家追悼の重要な任務は、義経の腹違いの兄にあたる範頼がおおせつかりますが、平氏との戦いがはかどらず、その年も暮れてしまいました。さすがの頼朝も、とうとう義経に平家追悼を命じるのです。義経の喜びは大変なもので、今度こそは兄の頼朝に認めてもらおうと、屋島合戦に張り切って出かけたのでした。